信州と出雲。この2つの系統について、食品研究家で食文化に詳しい河野友美さんは次のように書いている。
「ソバの最初の栽培地は滋賀県であると言われている。とくに、伊吹山付近がその地であったようだ。これが東に広がって、木曽や甲斐の山間地で栽培されるようになった。そして信州がとくに有名になった。こういった経路をみると、出雲は違うソバの系統がうかがえる。近畿から広がっていったソバは、中国からもたらされたものであるかもしれない。これに対し、出雲から広がったソバは、朝鮮半島を経てもたらされたものとかと考えるのはどうだろうか。ここに、あの挽き方の違いなどもでてくるのではないだろうか。」『食べ物の道』
この説の問題点は、植物のソバの日本伝来とそば切りの伝播とを混同していることにある。植物のソバの種子は、縄文時代に日本へやってきた。その主なルートは、中国大陸から朝鮮半島を経由してだった。
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一部は、沿海州から東北地方へ入ったとする見方もある、しかし、種子の伝来は、1万年も前のことである。一方、そば切りが開発されたのは、せいぜい500年ほどである。粉を挽く石臼が普及したのは、鎌倉時代である。古代出雲のソバ(植物)が直接朝鮮半島から来たとしても、そのことは、それほど意味を持たない。
それに、粉を延ばして切るというそば切りは、日本独自のものである。国内の複数の場所で、偶然に同じ製法が発明されたとは考えにくく、たぶん信州木曽あたりで誕生したものが、色々なルートで全国に普及していったのだろう。では、なぜ信州系と明らかに異なる出雲系のそばがうまれたのか?
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